兼六園 鳳凰山

先日、金城霊沢の事を書きました。

そこに「金城霊沢が金沢の地名由来の場所」と書いたら、異論が複数寄せられました。
異論を言われても、学校の授業で、そのように教わったのと、ネット検索でも同じ事が書いてあります。

真実は、どうなのか?
どうやら、ここに書いてあるらしい。
金城霊沢の横にある鳳凰山。
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≪以下はネットより≫
13代藩主斉泰は金城霊澤の傍らの小高い丘に洞窟を掘り、「金城霊澤碑」を納めた。
岩を積み上げて鳳凰の形にしたので、この丘を鳳凰山と呼ぶ。
洞窟の大きさは、間口約2m70cm、高さと奥行はそれぞれ約2m15cm。
碑は幅1m、高さ1m60cm、厚さ約30cmの伊豆石。
碑文の上部に隷書で書かれている「金城霊澤碑」の文字は斉泰の書だ。
天保15年(1844)に江戸でつくられ、金沢に運ばれたもので、碑が実際に立ったのは嘉永4年(1851)である。
碑文には芋掘藤五郎のこと、金沢の地名の由来などが刻まれている。
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そんなことなら文字をちゃんと読んでくれば良かった。
パッと見たら、漢字がギッシリ書かれていて、読む気が起こらず、写真だけを撮ってきました。
次回行ったら必ず読んでこよう。(^-^)

不思議なのは、子供時代に、ここで遊んでいたのに、鳳凰山の事が記憶にありません。
隣の金城霊沢の事は鮮明に覚えています。
子供にはインパクトが無かったのでしょうか。(^_^;)
鳳凰山
鳳凰山 石碑

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